バーニー・エクレストン、マックス・モズレー

このふたりは、世界で最も人気のあるモータースポーツの世界で、長年にわたって究極の力を発揮してきた。

バーニー・エクレストンは、1970年代から1980年代にかけて、マックス・モズレーの支援を受けてF1帝国を築き上げた。その後の数十年間、モズレーはFIA会長として、自らとエクレストンがしばしば共有していたビジョンに沿ってF1を方向づけていった。

今週初めにマックス・モズレーが亡くなったことを受けて、バーニー・エクレストンは、F1の頂点に立っていた頃の「何百万」もの思い出を語った。

F1を離れて4年経った現在90歳のバーニー・エクレストンは、「実際、兄弟のようだった」と語る。

「我々の間に秘密はなかった。やるべきことや、言うべきことがあれば、それを実行した。よい関係だったよ」

バーニー・エクレストンのF1の権利取得は、1970年代にF1コンストラクターズ・アソシエーションを運営していたときに始まった。1970年代末までにはマックス・モズレーが法律顧問を務めており、FISA(現在のFIA、1978年まではCSI)の権威を脅かす存在となっていた。

それから40年以上が経ったが、モズレーと一緒にFISA会長に就任したばかりのジャン-マリー・バレストルの権威を失墜させようと努力したことを、エクレストンは懐かしく思い出している。1979年のシーズン開幕戦で、バレストルはマクラーレンのジョン・ワトソンがスタート直後にクラッシュして赤旗中断の原因となったことに対し、3,000ポンド(46万7,580円*)という重い罰金を科した。

さらにバレストルは、ワトソンが罰金を払わなければ次戦のブラジルGPへの出場を禁止すると言い出した。エクレストンは彼の行動を「完全に間違っている」と考え、ワトソンの出場を主張するレース・プロモーターの支持を得ていることを知った上で、モズレーとともにブラジルのインテルラゴス・サーキットの地下オフィスで、バレストルにこの問題を訴えた。

バーニー・エクレストン、マックス・モズレー
バーニー・エクレストン、マックス・モズレー

バーニー・エクレストンは、マックス・モズレーとの最もよい思い出のひとつは、ジャン-マリー・バレストルに自分の力の限界をはっきりと知らしめたことだったと述べた。

エクレストンは「マックスと私は、彼に謝罪文を書くよう主張した」と振り返る。

「マックスは彼に謝罪文を書かせた。もちろんフランス語だ。20回は書いたはずだ。バレストルはひとつ書くたびにマックスが見て、『いまいちだな』と言って投げ捨てていたよ」

「20回は謝罪文を書いたと思う。地下室に座って、紙を破ったりくしゃくしゃにしたりしていた自分たちの姿が思い浮かぶ」

それから約30年後、エクレストンのF1支配は完全なものとなった。バレストルの後任としてFIA会長に就任したモズレーは、エクレストンにF1の権利を100年リースで売却したのだ。

1990年代初頭にモズレーがFIA会長に就任し、その後何度も再選され、ふたりとも権力の頂点に立っていた。しかし、マクラーレンがライバルであるフェラーリから得た知的財産を使用した罪で有罪となったとき、エクレストンは当時ワールドチャンピオンを争っていたチームに対し、モズレーがあまりにも強い処分を求めたと考えた。

マックス・モズレー、ロン・デニス
マックス・モズレー、ロン・デニス

バーニー・エクレストンは「彼は、マクラーレンを2年間チャンピオンシップから追放したがっていた」と思い出す。

「私は彼に、そんなことをしてはいけないと言った。追放したら二度と戻ってこない。チームをたたんだら、突然再開することはできないんだ」

マックス・モズレーと、当時のマクラーレンのチーム代表ロン・デニスは、お互いに反目し合う関係だったことはよく知られている。

「私はマックスに、彼らをチャンピオンシップから追放することはできない、そんなことをするのは馬鹿げている、と言った。マクラーレンは非常に優れたチームで、よく組織され、よく運営されている。ロンには何の問題もない。マックスは彼とうまくやっていけなかったんだ」

エクレストンはモズレーを説得し、FIA会長は渋々ながら罰金を受け入れることにした。

「彼らが今後2年間で稼ぐであろう金額を罰金として課すべきだと言った。だから、私が計算して、1億ポンド(155億8,600万円*)の罰金を科すことにしたんだ」

「世界モータースポーツ評議会にこの案を提示したところ、マックスが支持して『我々がするべきことはこれだ』と言った。だから彼らに1億ポンドの罰金を科した」

「スパイゲート」は、モズレー政権末期に起きた一連の爆発的なスキャンダルのひとつだった。その半年後には、悪名高いニューズ・オブ・ザ・ワールド紙の一面で彼の性的習癖が暴露された。(画像36枚

マックス・モズレーが辞任を迫られていたにもかかわらず、バーニー・エクレストンは長年の盟友をすぐには支持しなかった。しばらくして彼はそれを後悔し、謝罪した。

エクレストンは「ほぼすべての人から『彼のような立場の人間が、あのような行動をするのはいかがなものか』と言われたんだ」と説明した。

「当時、そういう(モラルを問う)人たちには全く同意しなかったが、でも、マックスを支持しなかった」

「あまりに大勢の人たちから、彼と仲良くするべきではないと言われたので、彼を支持しなかった。しかしその後、私はFIAの世界モータースポーツ評議会で率直に謝罪し、彼を支持しなかったことにあまり満足していなかったと彼に説明した」

これは、ふたりの間では数少ない深刻な意見の相違のひとつだったとエクレストンは語った。

「もし我々に意見の相違があったとしても、いや、それはよくあったことだが、私はマックスに『私はそれに同意しないし、そんなことが起こるべきではないと思う』と言うだろう。あるいはその逆の場合もあった。マックスが私に、こうしたほうがいいと思う、などと言うんだ」

「私たちが意見を異にすることがあったとしても、それは本当の意味での意見の相違ではなかった。友好的な意見の相違だった」

その後、2人は関係を修復し、日曜日にモズレーが亡くなる数日前に最後の会話を交わした。エクレストンは最後の会話について「彼はあまりいい状態ではなかった」と語った。

「彼に電話して『調子はどうだ?』と聞くのは気が進まなかった。だからときどき彼に電話して 『まだ修理してもらってないのか?』と聞いていた。我々にはそういったユーモアのセンスがあった」

「彼はわたしの気持ちを知っていた。だから彼は『いや、今は違うことを試しているんだ』と答えていたものだ」

-Source: RaceFans
2021年05月25日
マックス・モズレー死去、享年81歳 - 元FIA会長でF1安全性のパイオニア
*日本時間2021年05月28日11:20 の為替レート:1ポンド=155.860000円