F1レース解説:メルセデスがアストンマーティンを制した理由とは - オーストラリアGP

オーストラリアGPでは赤旗が3回出されたが、最初の赤旗は、8周目アレックス・アルボンの事故により出されたものだった。特にセーフティカーが出動したあとの赤旗だったので、作戦的に最も重要だった。このアルバートでのレースをマーク・ヒューズが解説する。

セーフティカーが出動したのは、58周のレースのうち、あまりに早かったので、ピットインするべきかどうかが明らかではなかった。つまりレーシング速度で走っている場合に比べ10秒節約できるが、その後のタイヤセットで最後まで走る必要があったのだ。

アルバート・パークはタイヤ劣化が比較的低いため、理想的な状況では必ず1ストップレースである。各タイヤの推定劣化率を考え、ミディアムでスタートし、20周目あたりでハードに交換するのが最適な作戦と判断された(ソフトは走行可能距離が長くなかった)。

8周目にセーフティカーが出動したので、残りの50周を遅いペースで走ることは、ピットのロスタイムを10秒短縮するよりも高くつくだろうか? 走り続けるのと、20周あたりでピットインするのとを比較して、他のマシンに対して10秒ロスしても、残る38周をかなり新しいタイヤで激しく攻めるべきだろうか?

ストラテジスト(戦略家)にとってとても難しい日に、ハミルトンのチームは正しい判断を下した:2023年F1オーストラリアGP
ストラテジストにとってとても難しい日に、ハミルトンのチームは正しい判断を下した。

数字は、それが危機一髪だったことを示している。ライブタイムでは、明白な正解はなかった。当時1位と2位を走っていたメルセデスは、どちらの作戦も採用できる幸運な立場にあった。彼らは、首位のジョージ・ラッセルをピットインさせ、ルイス・ハミルトンを走らせ続けた。上位ランナーのうち、フェラーリのカルロス・サインツだけがラッセルに続いてピットインした。これでハミルトンが先頭になり、マックス・フェルスタッペンとフェルナンド・アロンソが続いた。

ラッセルは7位で合流した。ハミルトンは無線で「あれで僕がものすごく不利になってないよね?」と聞いた。

彼のレースエンジニア、ピート・ボニントンは「そうは思わない」と答えた。彼らの数字によると、これはとても有効な作戦だった。

レッドブルとアストンマーティンはそれぞれ、ピットインするには早すぎると考え、ハミルトンの作戦を採用した。その後、赤旗が出たため、その判断は間違いなく正しかった。リスタートのグリッドに行く前にタイヤを交換することができるので、タイムロスなくタイヤを交換できた。ラッセルとサインツのレースは大きく損なわれた(ただし、いずれにせよラッセルはその後、パワーユニットの故障でリタイアする)。

ジョージ・ラッセル、マシンから炎:2023年F1オーストラリアGP

ジョージ・ラッセル、マシンから炎:2023年F1オーストラリアGP

ジョージ・ラッセル、マシンから炎:2023年F1オーストラリアGP
ラッセルは18周目、エンジン発火のあとリタイヤ。

しかし、今や赤旗により、事実上全員に対し、最初のタイヤ交換を非常に早めた。つまり、ハードコンパウンドを最後までもたせるためには、多くのタイヤ管理が必要となった。フェルスタッペンがハミルトンをオーバーテイクしてメルセデスを置き去りにすると、ハミルトンの任務は、タイヤを酷使することなく、アロンソをDRS範囲の1秒より遠ざけることだった。

左フロントタイヤのグレイニングが潜在的な危険だった。これが発生し、タイヤのトレッドが開き始めると、摩耗率が増加し、2回目のピットストップが必要となって、順位を落とすことになる。

アロンソとアストンマーティンは、その挑戦を非常によく理解していた。レースがその第2段階に入って数周後、アストンマーティンのタイヤは完全に温まり、アロンソは「何かができるかどうか確かめる」ために、ハミルトンとの差を縮め始めるよう提案された。

ハミルトンはタイヤを管理し、何とかアロンソを寄せ付けなかった:2023年F1オーストラリアGP
ハミルトンはタイヤを管理し、何とかアロンソを寄せ付けなかった。

アロンソは差を縮め始め、彼のスピードはハミルトンを驚かせた。ハミルトンは無線で「アロンソはとてもよいペースだ。このペースでこのタイヤが持つとは思えない」と述べた。アロンソは16周目の終わりにハミルトンの1秒以内に入り、それまでより1周当たり0.8秒速くなっていた。ハミルトンは、ボニントンからタイヤ管理を続けるよう要請されたものの、ハミルトンはアロンソに対応せざるを得ず、次の周回ではアロンソのペースに合わせた。

これはハミルトンのレースにとって、決定的に重要な瞬間だった。ふたりのうちどちらが先にタイヤを酷使するだろうか? ハミルトンは、左フロントタイヤを壊さずにアロンソを抑えることができるのだろうか?

皮肉なことに、18周目のジョージ・ラッセルのリタイヤがハミルトンを助けた。バーチャル・セーフティカーが出動したため、彼のタイヤは数周の間一休みすることができ、19周目の終わりごろにレースが再開されると、アストンマーティンはメルセデスよりもタイヤを温めるのに時間がかかるため、ハミルトンはアロンソのDRS範囲から再び抜け出すことができた。

しかし、挑戦はまだ終わったわけではなかった。アロンソがタイヤを温めると、彼はまたハミルトンに迫ってきた。

両者のマシンが互角になったことで、この宿敵同士のトラック上のバトルがもっと見られるかもしれない:2023年F1オーストラリアGP
両者のマシンが互角になったことで、この宿敵同士のトラック上のバトルがもっと見られるかもしれない。

レース後、ハミルトンは「彼を抑えて、DRSゾーンに入れないようにするのは簡単ではなかった」と語った。

「でも、本当に面白かった。自分たちがどのあたりにいるのか、どこが足りないのか、どこが得意なのかがわかった」

「最後には、思っていたよりタイヤがもったことがわかった。タイヤが劣化し始めたと思い、フェルナンドがプレッシャーをかけてきた瞬間があった。そのあと彼は減速したが、再び差を詰めてきた。彼は2、3回アタックしてきて、僕はレベルを上げて彼に負けないようにしなければならず、きつかった。0.1秒ほど彼より遅いこともあったし、速いこともあった」

「だが、残り18周で、このタイヤが最後までもつかどうかわからないと思っていた。すると彼が減速する瞬間があったので、少しタイヤをセーブし、その後よいリズムで走れるようになり、最後の10周くらいは、彼との差を全く同じに維持することができた」

アロンソは「ペースに関しては、レースを通じてルイスと非常に近かった」と述べた。

「でも近づこうとするたびに、彼はペースを上げるように見えた。プレッシャーをかけようとしたが、彼は全くミスを犯さず、素晴らしいレースをした。まさにチャンピオンらしい走りだった。でも一度だけロックアップをした。58周目のターン13だったと思う。だからプレッシャーをかけようとしたが、何も起きなかった」

-Source: The Official Formula 1 Website