角田裕毅(アルファタウリ・ホンダ)のイラスト:日本のレーシングセンセーションの台頭

角田裕毅にはスターになる可能性がある。レッドブルはそれを信じている。ホンダもそれを信じているし、アルファタウリも信じている。身長5フィート2インチ(158㎝)の日本人ドライバーは、それまでの攻撃的なドライビングを続け、デビュー戦でポイントを獲得し、かなりの注目を集めた。その後は苦労していたが、最近のレースでは、この21歳のドライバーは危機を脱したように見える。F1での最初のフルシーズンを終えようとしている彼について、これまでのキャリアを共にしてきた人々、そして彼自身に話を聞いてみた…

2016年、16歳の日本人ドライバーが、競争の激しい日本のF4に単発で参戦した。31人のドライバーのなかで、新人の角田裕毅は素晴らしい走りで2位になり、表彰台に立った。ホンダ経営陣たちの顔にはかすかな微笑が浮かんだ。角田はトラックの外では無口だったが、トラック上では実力を発揮した。ホンダにとってはこれが重要だった。最初のテストが終わった。

その後、ホンダ・ドリーム・プロジェクト(ホンダの若手ドライバー育成プログラム)の一員として、角田は成果を上げ続けた。最初のフルシーズンでレースに優勝し、総合3位でその年を終えた。翌年、開幕6戦中5戦で優勝し、チャンピオンシップで優勝した。そのレースの多くを、ホンダのモータースポーツ責任者である山本雅史が目撃していた。

これが運命を決めた。というのも、山本の携帯電話にレッドブルのモータースポーツ・アドバイザー、ヘルムート・マルコの名前が表示されたとき(ホンダとレッドブルは協力関係にあったため、このふたりは定期的に話していた)、角田の名前が記憶に残っていたからだった。

マルコは山本に、速いドライバーを知らないかと尋ねた。山本は、角田を含む3人の名前を挙げた。マルコはこの3人のデータを追いかけ、遠くから彼らのアクションを見守った。そしてひとりが抜きんでていた。角田はハンガリーのハンガロリンクでF3マシンのテストをしないかという電話を受け取った。そのあとは、ご存じの通りである。

角田裕毅はレッドブルとホンダのおかげでシングルシーターの世界を一気に駆け上がった
角田裕毅はレッドブルとホンダのおかげでシングルシーターの世界を一気に駆け上がった。

最初の一歩

ブダペストのハンガロリンクはテスト会場として人気が高い。そのタイトで曲がりくねったレイアウトのせいで一休みできる長いストレートがなく、ドライバーにとって非常に忙しいトラックだからである。そのため、チームがレーサーのポテンシャルを評価するのに適している。ロバート・クビサは腕に重傷を負いながらも衝撃的なF1復帰を果たす前に、ルノーでここを走り、角田裕毅はF3チームのモーターパークで走った。そして彼が「当たり」であることがわかった。

ヘルムート・マルコ(レッドブル・モータースポーツ・アドバイザー)

「彼はすぐに、特に高速コーナーで競争力を発揮した。彼は、その時走っていたどのドライバーよりも優れていた。私は結果をチェックしている。結果がよさそうなら、彼らと面会をする。裕毅はよさそうに見えたので、面会した。彼は欧州のサーキットを知らなかったので、できるだけいろいろなサーキットで距離を稼ぐため、F3チャンピオンシップに参戦させ、(同じ年に)ユーロフォーミュラ・オープン・チャンピオンシップにも参戦させた」

山本雅史(ホンダF1のボス:ホンダF1マネージング・ディレクター)

「レッドブルは、ハンガリーのテストに裕毅も参加させた。その日、ダン・ティクタムも走らせていたのを覚えている。裕毅はホンダの代表だった。彼がすぐに調子を上げたことにとても感心した。彼の才能はとても自然に身についたものであることは明らかだった。そして3日間のテストのあと、彼はトップタイムを出した。ヘルムートと話すと、彼もとても感心していた。わたしたちは、彼にとってF3が最高の場所だということで意見が一致した。F3はF1に向けて準備をするために、最も速いルートだったからだ」

唯一無二のドライバー

2018年の後半、アンドレアス・イェンツァーの電話が鳴った。ヘルムート・マルコからだった。彼は、イェンツァーの(その後F3になる)GP3チームに入れたいドライバーがいた。これは珍しいことではなかった。ふたりは5、6年間前から付き合いがあり、イェンツァーはマルコの依頼で、ミハエル・アメルミューラーやコリン・フレミングなどのジュニア・ドライバーを引き受けてきた。電話の内容は要領を得たものだった。「日本人F4ドライバーを紹介する。彼は日本チャンピオンだ。ホンダが50%、レッドブルが50%支援することになる。契約書を送ってくれ」

アンドレアス・イェンツァー(イェンツァー・モータースポーツの設立者)

「裕毅との契約書にサインすると、彼は2018年アブダビGP後の月曜日、ヤス・マリーナにやってきた。チームと一緒に週末を過ごすために、F1レースを見に来るよう誘ったのだが、彼は『いいえ、行けません』と言った。理由を聞くと『ああ、イェンツァーさん、モータースポーツにはあまり興味がないんです。走るのは楽しいし、メカニックやエンジニアと仕事をするのは楽しいのですが、レーシングを観戦するのは退屈なんです』と答えたんだ」

ヘルムート・マルコは角田裕毅に賭けるようアンドレアス・イェンツァーを説得した
ヘルムート・マルコは角田裕毅に賭けるようアンドレアス・イェンツァーを説得した。

2019年、角田裕毅は距離を大いに稼いだ。イェンツァーからF3に16戦参戦し、シーズン半ばまでに足場を固め、14戦目に初優勝を果たし、ドライバーズ・チャンピオンシップで9位になった。また、ユーロフォーミュラ・オープン・チャンピオンシップの14戦を完走し、総合4位になった。彼のパフォーマンスは、将来のボスとなるフランツ・トスト(アルファタウリのチーム代表)をはじめとする関係者の目に留まった。

フランツ・トスト(アルファタウリのチーム代表)

「F3の彼に感銘を受けた。彼は本当に素晴らしい仕事をした。というのも、日本から全く違う文化のヨーロッパに来て、レーストラックも知らず、マシンも知らなかったからだ。こういったいろいろな要素を考慮すると、彼は素晴らしい仕事をした。最初から、彼は非常に競争力があったし、1年目にレースに優勝した。これは印象的だ。彼のウェットでのペースは特に強かった」

マルコは角田の努力を認め、F1の一歩手前のF2に、名門チームであるトレバー・カーリンから参戦させた。F3と同様、角田は新しい環境に慣れるのに時間がかかったが、途中からは自分のペースをつかみ、安定性が飛躍的に向上していった。マルコは角田に3位以内に入るという野心的な目標を与えたが、角田はそれを達成した。

トレバー・カーリン(カーリン・モータースポーツ設立者)

「裕毅を初めて見たのは、2018年末、アブダビでのGP3テストだった。彼は我々の隣のガレージにいたので、彼がタイムシートの一番上にいるのに気づいていた。『あの子は誰なんだ? かなり魅力的に見えるな』と思った。気づいたのはそれだけだった。その後F3を観戦し、彼が2019年末のスパで、実力以上のものを発揮しているように見えた。いくつか素晴らしいレースをしていたし、本当に威勢のいいレーサーだった。すると2019年末のスパで、ヘルムートがわたしのところにやってきて、ドライバーを紹介したいと言った。リアム・ローソンやユーリ・ビップスなどのことを言ってるのだろうと思った。しかし彼は角田裕毅だと言った。わたしは『それは素晴らしい。本当に興味がある』と答えた。我々は握手し、その場ですぐに契約を結んだ」

ヘルムート・マルコ「その後、彼をF2に昇格させたのは、彼には準備ができていると確信したからだった。カーリンでの技術的トラブルでは、彼は不運だった。うまく行くこともあったが、無線では汚い言葉しか使わなかった! 最初は誰も彼に気づかなかった。チャンピオンシップでは、みんなシューマッハのことばかり話していたが、裕毅の方が速かった。彼をF1に昇格させるべきであることは明らかだった。そして彼のアルファタウリでのデビュー戦のバーレーンで、彼はすぐに存在感を示した」

角田裕毅はバーレーンのシーズン前テストですぐにペースをつかんだ
角田裕毅はバーレーンのシーズン前テストですぐにペースをつかんだ。

成功への意欲

角田裕毅がヨーロッパに渡ると、F3のボスであるアンドレアス・イェンツァーは、スイスにあるチーム本拠地の近くにアパートを用意し、有名なコーチング組織であるヒンツァ・パフォーマンス所属の専任パフォーマンスコーチのダン・シンズとペアを組ませた。ふたりはほとんどの時間を一緒に過ごしたので、角田の体調管理に熱心に取り組むことができた。欧州に来た時の彼の体重は約45㎏しかなく、F3マシンを扱うには体を鍛える必要があった。

アンドレアス・イェンツァー「大勢の若手ドライバーと一緒に仕事をしていたが、その多くは強制的にトレーニングをさせなければならなかった。裕毅に対しては強制する必要がなかった。彼はそのメリットがわかっていた。彼はとても頑張り屋だった。裕毅はひとり暮らしをしていたが、朝寝坊をするようなドライバーではなかった。いつもスイスの夏を楽しみ、湖の周囲をサイクリグしたり、山を走ったりしていた。彼は頑張っていた」

山本雅史「裕毅はこのチャンスを非常に真剣に受け止めている。休んでいる暇はない。彼は最高の仕事をすることにとても集中している。F1では、いつも集中しなければならないし、いつも自分自身を試さなくてはならない。毎週、彼はトレーニングをしたり、よりよくなるために何かをしたりしている」

F1での短い時間のなかで、グランプリでマシンを速く走らせる以外に、角田が好きなことがふたつあることが明らかになった。それは食事とゲームである。食事は食べることの楽しさを強調しており、ゲームは本業にも影響する負けず嫌いな性格と、自分の能力を最大限に引き出すための努力を示している。

トレバー・カーリン「F1において日本で最大の期待というプレッシャーが、彼に負担になっているとは思わない。彼はこれが使命であると考え、その使命を果たそうとしているだけだと思う。彼にはプレッシャーはない。結果を出せないときは、苛立たしいだけだ。なぜなら、彼は自分は結果を出すべきだと本当に思っているからだ」

「F2ドライバーのために、各サーキットに小さいシミュレーターを持ち込んでいる。裕毅はそのシミュレーターを長時間使っている。フリー走行前に、シミュレーターでトラックを100周走り、予選前にさらに50周走っている。だから彼の準備はかなり素晴らしかった。彼はただドライビングが好きなんだ。彼のチームメイトだったユアン(ユアン・ダルバラ)が走ってよいタイムを出すと、裕毅がそれを上回る。するとユアンがそれを上回る。ふたりは、暇さえあればお互いのタイムを上回ろうと競い合っていた。楽しかった。ふたりがクラッシュしても冗談ばかり言い合っていた。彼はチームの素晴らしい一員だった」

角田裕毅はレーシングをしていないときはゲームをするのが大好きだ
角田裕毅はレーシングをしていないときはゲームをするのが大好きだ。

角田裕毅の成長 - 本人と関係者の証言
Part 1 | Part 2


2021年03月26日
F1ルーキーの角田裕毅が見習うべき7人のポイント獲得日本人ドライバー


アルファタウリ公式サイトの今現在(2021年4月3日)のトップページがカッコいい。葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」(英語名:The Great Wave off Kanagawa)と日本国旗、さらに角田裕毅とAT02のコラージュ画像。
アルファタウリ公式サイトの今現在(2021年4月3日)のトップページがカッコいい。葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」(英語名:The Great Wave off Kanagawa)と日本国旗、さらに角田裕毅とAT02のコラージュ画像
日本の神奈川から大きな波がF1にやってきたって感じかな。